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書評 「同調圧力」

  本書は日本人ならば誰もが感じたことのある同調圧力の正体について考察した本である。上司から飲み会に誘われた時、本当は家でゆっくりしたいと思っているのだけど断れなくて行ってしまう。本当はやりたくないけどPTAの役員への参加を断れなかった。何か意見があってもみんなの反応をまずは伺ってしまう。などなんとなくその場の雰囲気を必要以上に察して自分の考えを押し殺してしまうことが多くの日本人ならば感じていることだろう。このなんとなくの空気は実は「世間」という日本特有の考え方から来ている。

 

 世間様に合わせなければならない日本

 世間という言葉は当たり前の考え方として日本では定着している。子供の時いたずらをしたらお母さんから「世間様になんて言われるか分からないでしょ」と言われたり、芸能人は「世間にご迷惑をおかけしました」と謝罪したりと世間という事を多くの人が気にしている。しかしこの世間という考え方は実は日本特有の考え方であり、海外では存在しないのだ。例えばアメリカでは空気を読んでやりたくもない学校の役員をやるという事は少ない。世間様という考え方はなく、大事なのは自分個人の考え方だからだ。また日本では1人をクラス全員で虐めるという事例あるが、アメリカでは少ない。日本ではクラスとく世間の空気をみんな感じ取り、そこから外されないように虐めの片棒を担ぐ。しかしアメリカにはそもそも世間はないため傍観する人ももちろんいるが、ちゃんと虐めを止める人も出てくる。海外では世間の代わりに社会という考え方の元生活をしている。

 アメリカはエレベーターで出会った人と結婚する

 世間と違い社会とはどのような考え方なのだろうか。世間がクラスや会社の部署などであり社会とは自分が所属している組織の外にある世界のことである。例えばアメリカではエレベーターの中で見知らぬ人と一緒になった時に世間話をしたり、ATMで後ろにいる人に声をかけたりすることが多い。実際にそのことがキッカケで結婚に至ることもあるそうだ。日本では自分の所属する組織以外の人と会話する事はなかなかないであろう。どちらが良いという訳ではないが、この世間という考え方の欠点が今回のコロナで浮き彫りになっている。

 

 コロナで浮き彫りになった世間様の欠点

 今年になってから自粛警察という言葉が一般化してきた。自粛要請に応じず営業をしている店舗をネット上に晒したり、他県ナンバーの車に嫌がらせしたり、マスクをしていない人を攻撃したりする人がいわゆる自粛警察である。自粛警察は冷静に考えれば行き過ぎた考え方であるが、日本では容認されている雰囲気がある。自粛要請に応じない店が悪い。他県からわざわざ移動するのが悪い。こういった考えの背景には「世間に迷惑をかけやがって」という考えがある。自分も我慢しているのだからお前も我慢しろという事である。本来自粛要請は個人個人の立場で考えてくださいという事である。それぞれの店舗にはそれぞれの事情がある。それぞれの考えもある。そこに意見するのは御門違いなのだが、なぜか「世間の空気に合わせるのが正義」ということになってしまうのだ。当然だが自粛警察という誰かを監視するような事をするのは日本だけである。そもそも自粛なんて曖昧な言葉で国民がみんな移動しなくなるのも日本だけである。

 

 行き過ぎた世間様は日本を歪める

 世間という考えが絶対に悪いとは言わない。例えば震災の時に暴動が起きなかったのも、犯罪率が少ないのも世間様の目があるからだろう。しかしその反面、自殺率が先進国の中でもトップであることにも繋がっている。世間様に迷惑をかけてはならないなら、自分にその攻撃の矛先を向けるということになるのだ。今回のコロナでも、コロナにかかった人をテレビでは報道し、芸能人は謝罪している。しかしどうしてコロナとう病気にかかっただけで謝罪をしなければならないのか。どうしてその家族が謝罪しなければならないのか。どうしてコロナにかかった人が「申し訳ない」と思わなければならないのか。日本人は自粛という言葉に忖度し過ぎている気がする。政府が行った通りに動き、不満は世間を乱す人にぶつける。自粛要請というのは実は政府にとっては都合の良い責任逃れの言葉ということに気づいている人は少ない。自粛と言えば責任は政府にはなく個人個人にあるからだ。自粛という言葉を使えば政府は補償を出す必要もなければ自粛の結果生じる結末に責任を取らなくても良い。本書を読み自分の頭で考えて行動する大切さを感じた。