自分のペースで

大好きな読書を中心に、日々の気づきを綴ります。 目標→100記事執筆

鬼滅の刃の映画を見た 煉獄さんの生き方

起滅の刃の映画を見てきた。 初日ということで混むかと思って行くのを渋っていたのだが、正解だった。感動した。とりわけ自分の心が動かされたのが、煉獄さんの生き方のかっこよさだ。煉獄さんの死ぬ間際までも自分の信念を貫く姿に感動したのだ。死の間際、鬼が煉獄さんに鬼になることを誘う。死んでしまってはその強さも無意味になってしまう。鬼になれば一生死ぬまで強くあり続けることができるのだと鬼は説く。しかし煉獄さんは最後の最後までその誘惑に屈っしなかった。最後の一瞬まで弱い人を守り続ける人間である事を選んで死んだ。煉獄さんを象徴する炎のように燃え上がる強さと正義感で、列車の乗客と炭次郎達を守り抜いたのだ。自分の信念を貫き通すことは本当に難しい事だ。しかし煉獄さんは貫き通し、その信念を次の世代に託した。

 いつどんな時でも信念を貫き通すということは本当に難しい事だ。自分で建てた目標は、日常の中のありとあらゆる誘惑に負けてしまう。自分が煉獄さんの生き方に感動したのは、自分が誘惑に負け続けてきたからだ。だからこそ自分が今までできなかった信念や誓いを守り抜く、という事を強烈にやり抜く煉獄さんをかっこいいと思ったのだ。

 煉獄さんはどうして死の直前でさえも信念を貫くことができたのだろうか。それは1つは日々鍛錬を続けてきたからだろう。煉獄さんはとにかく強い。列車の中にいる鬼を一瞬で倒し、脱線する列車の衝撃から乗客200人を守り抜いた。その強さから考えても日々の鍛錬を繰り返してきたのだろう。その中で自分に負けそうになったこと。諦めそうになったこと。不安になったこと。安逸に逃れそうになったこと。多くの誘惑に負けそうになってしまったに違いない。しかしそれでも鍛錬をし続ける事を選んだのだ。だからこそあの最後の一瞬でさえも自分の信念を守ることができたのだ。日々の中で誘惑に抗い続けたからこそ、最後の最後まで自分の信念を貫き通すことができたのだ。

 また母から託された理想を守り続けていたということもあるだろう。心の師匠を持つ人は強い。煉獄さんの母は、「強い人は弱い人を守り抜かなければなりません。それが強く生まれた者の使命なのです」と説いていた。その言葉を煉獄さんは胸に抱き続けていたのだ。だからこそ最後の死の間際に笑って死んだのだ。心の師匠とするべき人間を持っていた。またその人の言葉をずっとずっと胸に抱き続けていたこと。これが煉獄さんの強さの秘密だと思う。

 自分は今、ベースという道に一歩、いや半歩にもまだ満たないかもしれないが踏み出している。毎日少しづつだが続けている。またプログラミングもやる。書評ブログもだ。それはなんのためだろう。自分には理想がある。自分の姿を持って苦しんでいる人々の希望になることだ。そしてその実現の手段としてベース、プログラミングをやるのだ。ベースもプログラミングもある意味で、人々を支える力を手にすることができるものだ。煉獄さんのように人を助けたい。そのための力として選んだのがこれらだ。

 しかし今までは地道な鍛錬ができていなかった。煉獄さんのように、誘惑に抗い日々鍛錬する事を怠ってきた。鍛錬とは一瞬で成長することでも、成功することでもない。毎日毎日亀のペースでも継続する勇気のことだ。毎日毎日どんなに不安でも、どんなに疲れていても一歩前進しようとする意思のことだ。毎日少しづつ少しづつ向上するから強くなれる。足場を固めることができる。早くはないが確実に成長することができる。今まではすぐ変わろうとした。それは鍛錬ではない。それは勇気ではない。それは煉獄さんのような生き方ではない。それでは継続できない。それでは成長しない。とにかく毎日毎日続けるのだ。少しづつ成長しようと決意するのだ。短期間ではなく長期的な目線を持つことだ。今の自分を認めることだ。何もできない自分を認めることだ。平凡な自分を認めることだ。上手くいかなくても続けることだ。理想と現実のギャップに落ち込んでもそこから一歩を踏み出すことだ。それが勇気なのだ。

 映画館を出て、煉獄さんのキーホルダーと下敷きを買った。2000円。なぜ買ったのか。それは映画を見た感動を感動のまま終わらせないためだ。この感動は自分の現実のアクションに結びつけなければならない。煉獄さんの生き方から信念の元日々鍛錬する大事さを改めて確認できた。ここまで感動させてくれた映画を作ってくれた関係者と原作者の皆さんに感謝したい。そしてそれを見に行った自分を褒めたい。