自分のペースで

大好きな読書を中心に、日々の気づきを綴ります。 目標→100記事執筆

劣等感で死にそうだった自分が読書に目覚めた理由

 

 

 タイトルからしてとても重いのですが、私は大学生の頃はそこら中の劣等感を集めてそれを圧縮して固めたような人間でした。とにかく人と同じことは嫌で何と無く、おおきな事をしたいと思いながら何もできない。オールイングリッシュで行われる授業には全くついていけず、早々に諦め、経済学の癖に経済学部の授業に興味がなく授業を休んでいた。私の大学は、10人一部屋で生活するという特殊な寮があるのだが、そこでも人間関係につまづき塞ぎ込む日々。大学に行っても居場所がなく、量に帰っても辛い。さらには初めてのバイトではオーナーのパワハラまがいの怒声に夜が寝られなくなる。それに反して、周りを見渡すと過酷な英語の授業にしがみつき結果を残す友達や、寮生活で友達をたくさん作り楽しそうに過ごす友達、部活に全力投球する友達など輝いている人だらけに見えていた。

 自分は一体何をしているのだろうか。自分はどこに行けば良いのか。なぜ自分だけこんな目に遭わなければならないのだろうか。そんなことばかり考えていると、人の中に入るのが怖くなってしまった。この状況からなんとか抜け出さなくては、なんとかして周りの人たちに追いつかなくては。しかし人の中に入る気力はない。悶々とした日々を過ごしていた私はある日「読書」に出会った。

 私の大学の創立者は折に触れて読書の大切さを語っている。なぜ読書なのか。読書に何があるというのだろうか。しかし、自分の尊敬ている人が読書をこれほどまでに勧めているのだ。もしかしたら読書には、いま自分が抱えている不安や苦悩から解き放ってくれる何かがあるのではないだろうか。私は、状況を変えたいというただその想いから読書を始めたのだ。読書からも逃げてしまったら自分には何も残らないとその時は本気で思っていた。

 創立者の言葉で始めた読書。したがって、創立者が勧めている本を読み進めて行こうと決意した。創立者が勧めている読書とは、ドストエフスキーユゴーアレクサンドルデュマ、ペスタロッチ、夏目漱石太宰治吉川英治などいわゆる古典小説である。翻って自分が今まで読んだ小説といえば高校の時の朝読書の時に読んでいた東野圭吾くらいである。正直行って壁が高いと感じたのだが、だからこそ古典小説を読むということには意義があるのかもしれないと思い挑戦した。

 1冊目に選んだ本は、デフォーの「ロビンソンクルーソー」である。ロビンソンクルーソーは、18世紀にイギリスで発表された小説であり、今尚読み継がれている作品である。ロビンソンクルーソーという青年がある日海難事故に巻き込まれ、たった1人無人島に漂流し役27年間を創意工夫して生活するという話である。1巻で完結するとはいえ、表現が古めかしく難しい。さらには、開始100ページくらいは無人島生活の話は出てこない。クルーソーは一体いつ無人島に行くのか。

 幾度となく眠気が誘ってくるのだが読み進めていくにつれて、ある時から没頭している自分に気が付いて驚いた。没頭してくると、自分が今日本にいるということも忘れ無人島にいるかのような錯覚に陥るようになっていた。クルーソーが、無人島で孤独に苛まれている時には自分も寂しくなり、クルーソーがその境遇にも負けず、生活を豊かにしようとする心に感嘆し、そして27年たち無人島から脱出できたときには一緒に喜んだ。その時ふと気がつくと、自分の中に巣食っていた不安や、孤独が息を潜めてた。

 それ以来私は読書にはまり、文字通り暇さえあれば読書をした。「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「レミゼラブル」「三国志」「大地」など古典小説に挑戦した。読書は人の心を変化させる。その命題は間違いなく正しいと思った。

 さて、読書をして私はどのように変化したのだろうか。TOEICなどのように数値として測れるものではないので、はっきりと言うのは難しい。読書から得られる変化や効果は人それぞれ違うのだとも思う。その上で自分が実感する読書のメリットは次の3つである

 ①視野が広がること

 読書に没頭すると、不思議とその世界に自分が存在しているかのような錯覚を覚える。例えばロビンソンクルーソーを読んでいるときには、部屋にいながら心は一緒に無人島にいたし、モンテクリスト伯を読んでいるときには自分も一緒にダンテスと一緒に投獄されそして脱獄するスリルを味わったし、レミゼラブルを読んでいるときには、ジャンバルジャンと一緒にフランスの下水道の中で宿敵ジャベールから逃走していた。普通の生活をしていたら100パーセント経験でき得なことばかりであろう。しかし読書をすることによってその、得難い経験を追体験できるのである。

 ②精神的に強くなった

 読書をすれば、何か心が折れそうなとき自分を支えてくれる糧になってくる。例えば、就活をしていたとき仕事が決まらず不安に襲われていたのだが、その時は「夜と霧」が自分を支えてくれた。夜と霧はアウシュビッツ強制所を生き延びた心理学者であるヴィクトールフランクルが書いた本である。アウシュヴィッツで当時人々が受けていた痛み苦しみ、絶望からすると自分が今感じている不安なんでどれほどちっぽけなんだろう。このように思いたった時、もう諦めようかと思っていた就活を続け結果的に内定をもらうことができた(その会社は1年でやめたのだが)。このように、自分よりも圧倒的に過酷な状況に生きる人の経験を知ることで、自分の境遇を客観的に見ることでき乗り越えることができるようになるのだ。

 ③好奇心旺盛になった

 読書をすると、多くの何故?という疑問が頭の中に浮かんでくるようになる。例えば夏目漱石の心を読んでいた時、主人公のお父さんが乃木大将が殉死した姿を見て喪失感を覚える描写がある。この部分を読み何故、当時の人々は乃木大将という人が死んだときに自分も後をおって死ぬという考え方になったのだろうか。現代に生きる自分では到底想像もつかないような社会的分脈の中で生きていたという事実が不思議でしょうがなかった。このように読書をすると、今までは考えたこともなかったような疑問を抱けるようになる。

 以上が自分が考える読書を行って得られたと思えることである。しかし読書によるメリットは数値化できるものではない。何故ならば、数学や英語などと違い目で見てわかるようなものではないからだ。しかし、読書をすることで目に見えない心の深さや想像力、共感力といった人間の潜在能力ともいうべき力を鍛えることができるのだと思う。読書による効果とは、短期的なものではなく長期的スパンで見たときに実感できるものが多いのではないだろうか。だからこそ、多くの識者が読書を勧めても読書人口があまり上昇しない理由だと考える。

 自分は、当時どうしようもなく劣等感で苦しみ、なんとかしてそこから抜け出したいという一心で読書を始めた。心境としては背水の陣のようなイメージだった。しかし結果的に自分でも納得ができるくらい読書に挑戦できたからよかったと思う。ここまで書いて見て、強烈な劣等感や孤独感は苦しいが時として大きな変化を促す劇薬のような働きもしてくれるのではないだろうか。私は当時狂ったように読書をしていた。普通の精神状態であったらあそこまで熱中して読書をすることはできなかったように思う。だから劣等感や孤独は大事にしてしっかりと向き合っていくことが大切なのではないだろうか。