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 岡本太郎著 「自分の中に毒を持て」から学ぶ自分らしさ

 挑戦したいけど怖くて動けない。そんな時に、いつも自分の背中を押してくれる一冊がある。それが、岡本太郎の「自分の中に毒を持て」である。岡本太郎の言葉は本質である。社会的な流行や、また気取りや虚飾など一切ない。全てが岡本太郎自身の心から湧き出る言葉である。だからこそ、本気で生きようとして苦しむ人。社会の中で人知れず苦しみながら生きている人にとって何よりの励ましとなる。今回の記事では本書を通算5回以上読んだ私が、その中でも特に印象に残った言葉を3つ紹介する。

  

 ①「危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。本当はそっちに進みたいんだ。あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら、なんとかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。構わないから、こっちに行ったら駄目だ、と思う方に賭ける。」(自分の中に毒を持て P 28)

 多くの人が、本当は別の会社に行きたいとか、本当は夢を追いかけてみたいと思っているのではないだろうか。しかし、その道は今自分がいる先行きが見える安全な世界ではない。今の仕事を続けていれば、何年先には出世でき、昇給もできる。ある意味今の現状を我慢さえすれば先行きが見え、確実な道である。反面、自分の心に従い仕事をやめ別の道に踏み出すことは自らの意思で不確実性の中に飛び込むことである。成功する保証なんてない。むしろ考えれば考えるほどデメリットしかないように思えてくる。そこまで考えて、ほとんどの人が安全な道を選ぶ。しかし本当にそれで良いのだろうか。そもそも危険であるのに迷うということは、自分が本当に行きたいと願っている道なのだ。だったら危険に飛び込む覚悟で飛び込んでみるべきなのではないだろうか。

 次元は違うが、私は学生時代岡本太郎のこの言葉を読んで道を決断した経験がある。それは自分が副部長を務めていたサークルで、私がその部活では前例のなかった新規イベントを立ち上げた経験である。当時、所属していたサークルは停滞感を感じていた。先輩たちが作った企画やイベントをただ遂行するだけのいわゆる安全策ばかりとっていたからだ。それは確かに失敗することはなく、安全である。しかし自分たちが本当にやりたいことではなかったのだ。引退1ヶ月前を控えた時、私は絶望的なほど迷っていた。本当に自分たちはこのまま、何も挑戦せず終わっていいのだろうか。確かに、このまま何もしなかったら安全に、引退への準備を行い無難に終わることができるだろう。しかしそれでは絶対に後悔してしまう。かといって時間がないなかで前例のないイベントを企画するのは失敗のリスクが大きすぎる。挑戦するか否か。その時の自分は本気で迷っていた。そんな時、岡本太郎の言葉を読んだ。危険な方向にかけてみろという言葉が胸に刺さった私は、挑戦する決意をした。まるでバンジージャンプを飛ぶかのような選択であった。結果、2度とやりたくないと思ったほど大変な1ヶ月となったのだが不思議と強烈な思い出としていまでも残っている。この経験からも、危険な方向にかけてみるとその時は大変でも、振り返ってみて本当によかったと思える経験ができる。この言葉にはそれだけ人を動かす力がある。

 

 ②「自分自身を客観的に評価して、あらゆる点で彼女にふさわしくないと判断してしまうこともある、学力とか、自分の容貌や肉体的条件といったものから、自分の全てを、いつも相手より低く見てしまう。辛い。しかし自分に絶望しているだけでは意味がない。自分が色々な点で低いからと引っ込んでしまうのは、これは片思いでもないし、恋愛ともいえない。もっと分かりやすく言えば、初めから本当の愛を捨ててしまっているとも言える。僕はそんなのだらしがないというよりむしろ卑怯だと思う。自分がその人を好きだというその気持ちに殉じれば良い。」(P154)

 自分は好きな人がいてもいつも、相手より自分を低く見積もって自分から引っ込んでしまいがちである。あの人は、頭も良くて努力家で人望もある。それに比べて自分なんかは何もかも中途半端だ。そんな自分が彼女と釣り合うわけがない。そのように考えた結果、何も行動を起こさず、気持ちを燻らせてしまうのだ。しかしよく考えてみると、確かに岡本太郎のいうとおり結局のところ気づくつくのが怖いだけである。その人の前に立った時に、相手と比較して惨めな気持ちになる自分に耐えられないだけなのである。そんなことで諦めてしまうようなら、初めから人を愛する資格などなく、そもそも自分で愛というものを捨て去ってしまっているのだ。岡本太郎は、同じように相手から期待の言葉が返ってこなくても良いといっている。そうではなく自分の気持ちに自信を持ちそしてその思いをぶつけることだ。それによって少なくとも行き場を失った自分の気持ちは救われるではないか。このように、恋愛が怖くて仕方ない人の一助にもなる言葉である。

 

 ③「友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹を決めて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる。」(P 84)

 多くの人が今、自分を押し殺して消耗している。会社の飲み会に本当は行きたくないけど、嫌われたくないから無理して出よう。その意見は間違っていると思うけど、空気を壊したくないから黙っておこう。など様々な場面で波風を立てないような無難な選択をとってしまう。しかし、本当に波風を立てないことに意味があるのだろうか。その時に自分が傷つかない代わりに、その一瞬の選択でもっと大事な何かを失ってしまうのではないだろうか。相手に合わせるというのならば、一体その人生は誰のためにあるのだろうか。嫌だと思ったら嫌だと言える自分になれば、反対に好かれる自分になれるかもしれない。

 

 以上3つの言葉を紹介した。岡本太郎の言葉は、生き辛さを感じている人や何かに挑戦しようとしている人にとって大きな励ましになると思う。