自分のペースで

大好きな読書を中心に、日々の気づきを綴ります。 目標→100記事執筆

人付き合いが苦手な自分を認めよう

自分は昔から、人付き合いが苦手でありそれがコンプレックスでした。人見知りで、人と会うのが嫌だったですが、それを認められずなんとか明るい自分を演じようと必死でした。高校の時、1番嫌な時間は授業の間にある休み時間や、昼休憩でした。なぜならば友達と話さなくてはならないから。なんとか明るくしなくてはと思っていた自分はいつも、普段のテンションの3割増しくらいで友達と接していて、面白いことを言わなければと気を張っていました。無口で暗い自分では、誰も受け入れてくれないと思い込んでいたのです。しかし、無理はやはり長続きしません。私は次第に学校へ行くことも、友達と会うことも嫌になってしまったのです。なんとか不登校になる訳でもなく、卒業もできたのですが、毎日学校に行き教室に入るのが苦痛で、友達付き合いすることでの苦手意識が植え付けれてしまいました。

 その苦手意識はなかなか消えず、大学に入っても人を避け続けてしまいました。友達の輪の中に入ってみも自分は面白いことを言えない。なぜかいつも黙り込んでしまう自分と向き合うのが嫌で嫌で仕方ない。大学は友達と付き合うのも、1人でいるのも自由です。私は友達と一緒に騒いだり遊んだりというよりも、1人で悶々としてばかりの大学生活でした。英語をマスターすると言って入ったにもかかわらず、クラスメイトとの交流に躓き挫折。自分を鍛えたいと思って入った、寮生活でも人間関係に悩み楽しむおいうよりはむしろ、苦しい毎日。何かを始めなくてはと始めたバイトでは、パワハラ気味のオーナーに毎日怒鳴られ鬱寸前になった。とにかく自分が嫌で仕方なく、なんとか自分を変えたいと思っていた。

 自分を変えるためにはどうすれば良いのだろうか。そう考えた時思い浮かんだのが留学であった。私の大学は国際化に力を入れていることもあり、留学に行く学生が他大学に比べても多い。そして留学に行った先輩は自分にとって憧れの存在だった。自分も留学に行けばあのカッコよくて笑顔の素敵な人になれるのではないか。そこまで感えた時私は留学に行く決意をした。留学資金を貯めるため、3ヶ月間バイトを掛け持ちして朝から晩まで働いた、結果的に60万円程度貯めることができ、フィリピンに半年間の留学が決まり、私は出発した。ただただ自分を変えたかった。

 しかし、現実は理想とは全く違っていた。フィリピンで出会ったものはなんだったのか。それは、日本と同じように人間関係で悩み塞ぎ込んでしまう自分であった。フィリピンの現地学生と一緒に受けた授業では英語について行けず、友達ともうまく話すことができず悩み、フィリピン人2人と日本人2人で行った共同生活では言いたいことを言えずストレスを抱え込み、インターンシップでは、失敗が怖く無難なことしかできない。本当にどん底だった。日本で何をしてもダメだと思っていた自分が、勇気を振り絞り挑戦した留学でも結局同じように人間関係でつまづき、勉強について行けず挫折する。これでは日本にいた時と全く一緒ではないか。自分はこれから先どうやって行きて行けば良いのか。自分の可能性なんて存在するのか。まさしく苦悩していた。

 そんな時英語の勉強を兼ねて見ていたあるスピーチに衝撃を受けた。TEDという世界中の起業かやなんらかの分野で功績を残した人がスピーチをするという舞台がある。その中のスピーチの1つ、スーザンケインさんの「内向型人間のすごい力」というスピーチに自分は文字通り、頭をトンカチで打たれたと言うほどの衝撃を受けた。スーザンケインさんはスピーチの中で、人間には内向型と外向型という2つのタイプがあり、その違いは自分の外側からの刺激にどのように反応するかということで分けられと述べている。例えば外向型の人間は外側からの刺激に対する反応が弱いとされ、内向型の人間は外側からの刺激に敏感であるという違いである。したがって、外向型人間にとっては、より多くの刺激がある環境で活気が出て、内向型の人はより静かで整えられた環境で1番力を発揮できる。どちらかが優れているとかそう言った問題ではなく、単なる気質の問題である。だからこそ、その気質を帰るのではなく受け入れるという方にシフトチェンジすることが必要なのである。このようにスーザンケインさんは語っている。

 このスピーチを見て、自分の性格に対する見方に変化が現れた。今まではとにかく口下手であり、社交下手な自分を変えなくてはならないと思い込んでいたし、そうしなければならないと半ば脅迫観念的に自分を追い込んでた。しかしスーザンケインさんはその内向型な性格を受け入れて良いのだと言ってた。小学校以来20年近く思い込んでいた、明るくて活発な人が優れているという固定観念にひびが入った瞬間だった。その後、もっと内向型について知りたいという思いから、日本からスーザンケインさんの本を取り寄せ貪るように読んだ。なぜこの人は自分のことをこんなにもわかってくれているのだろう。なんて優しい人なのだろうと思い読んでいると涙が溢れ出してきた。自分は自分のままで良いのかもしれないと初めて思うことができた。

 それ以降、無理に明るく振舞うことをやめるようにした。自分が行きたくないと思った集まりには断っても良いことにし、なるべく無理のない範囲で人と付き合うようにした。そしてそういう自分を許すようにした。もちろん最初から上手く言ったわけではないし、今でも何気なく生活を送っていると自分を卑下してしまうこともある。ものごごろついた時から思い込んでいたために、習慣化してしまっているのだ。仕方ないことだと思う。しかし、以前のこうあらねばと思っていた自分から少し解放され、なんだか自由になれた気がした。

 自分には何ができるのだろうと思うことがある。自分は外向型の人のように明るく社交的に振舞うことはできない。そしてそれを目指す必要もないと思う。そこまで考えた時に自分の持つ可能性が楽しみで仕方ない。自分は何ができるのだろうか。人にどのように思われたって関係ない。自分は自分らしく生きて行くと、これから先も決意して生きていく。