自分のペースで

大好きな読書を中心に、日々の気づきを綴ります。 目標→100記事執筆

自分なんて価値がない。。卑下してしまうあなたに ヴィクトール・フランクル 「夜と霧」

 

 自分はいつも失敗してばかりだ。何をやってもうまくいかない。何もかもうまくいかない時というのは、そのようにネガティブに考えてしまいがちですよね。

一冊の本は、時としてもう無理だと思うようなどん底にいる状況にいる人の心を蘇らせてくれる希望となります。もしも今あなたが、「自分なんて何をやってもうまくいかない」と卑下してしまっているのなら

どうかまず、これからご紹介する本。ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を開いてみて下さい。

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

言語を絶する感動と評された夜と霧

 本書は、あのヒトラーによるユダヤ人大量殺人が行われた強制収容所で2年間を生き抜いた心理学者のフランクルが書いた収容所生活の体験を記したものです。

1947に出版されて以来、いまに至るまで全世界で600万を超える読者に読まれ続けており、本書はまさに人類の遺産的作品と言えます。

 

強制収容所での生活とは、まさに想像しうる身体的自由の全てを奪われた状況です。そして自分の命の生殺与奪は全て、看守の手に委ねられている。10分後に生きているかどうかは、全て目の前にいる看守の気分によって握られているのです。生活に関するありとあらゆる自由を奪われた状況の中で、人は何を思うのか。そこで到達した真理は今に生きる私たちが抱える苦悩との向き合い方に大きな希望を与えてくれるのです。

 

①私たちがどれだけ恵まれているのかということに気づかされる

私が夜と霧を初めて読んだのは、学生時代の就職活動の時です。その時、就職活動が全くうまくいかず、自分の自信も失い半ば鬱病状態になっていた時です。なんとか今の状況から抜け出さなくてはと手当たり次第に本を読み漁っていました。そんな時に、出合ったのが夜と霧であり、次の一節を読んだ時の衝撃は今でも思い出します。

 

「自分を取り巻く現実から目を背け、過去に目を向けるとき、内面の生は独特の徴を帯びた。世界も今現在の生活も背後に退いた。心は憧れにのって過去へと帰っていった。路面電車に乗る、うちに帰る、玄関の扉を開ける、電話がなる、受話器をとる、部屋の明かりのスイッチを入れるーこんな、一見笑止な細々としたことを、被収容者は追憶の中で撫でさする。追憶に胸がはりさけそうになり、涙を流すことさえある」(P64)

 

この一節を読んだ時、自分にとってはどうしようもなく不安で苦しいと思っている今のこの状況こそ、当時収容されていた人たちが喉から手を出すほど望んでいたものだったのだと気づかされました。自分には好きなものを食べる自由も、行きたい場所に行く自由も、どんな自由もある。就職活動がうまくいかないことなんてどうでも良いではないか。自己否定ばかりしていた自分の中に、希望が灯った瞬間でした。

 

②苦しむこと自体に意味がある

 苦しい状況が続き、「自分が生きていることになんの期待も持てない」と思ってしまった時どうすれば良いのでしょうか。フランクルはこのように言います。

 

「ここで必要になってくるのは、生きる意味についての問いを180度転換することだ。私たちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ。もういい加減、生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ」(P130)

 

 例えば会社にいて、自分のミスが続き信頼をなくしてしまった時。あるいはパワハラを受け、心身ともに疲弊してしまった時。また何をやってもうまくいかず自暴自棄になってしまう時。私はいつも、なんで自分だけこんなに苦しい目に遭わなければならないのかと思ってしまいます。しかしそうではなく、この苦しさにはどのような意味があるのかと自分でその回答を見つけなくてはならないのです。

 

「人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そして二つとない、在り方で存在しているのだという意識にまで達しなければならない。誰もその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、二つと無い何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ。」(P131)

 

 自分は以前、自分の性格が嫌で嫌で仕方ありませんでした。人を信じられずうまくコミュニケーションを取れないこと、何事も継続出来ずにすぐ諦めてしまうこと、自分を信頼できないこと。なぜ自分だけこんなにも苦しまなくてはならないのかと思っていました。しかし、実はそうではなくそのように苦しんでしまうことにこそ自分だけにしかない価値があるのです。

 

③どんな生命にも価値がある

 次々と仲間である被収容者が死んでいき、そして残されている自分たちも明日まで生きられる保証もない。誰もが絶望を抱く中、フランクルは心理学者として生命について語り始めます。

  

 「人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある、この存在することの無限の意味は苦しむことと死ぬことを、苦と死をも含むのだ。私たち一人一人は、この困難な時、そして多くにとっては最後の時が近づきている今この時、誰かの促すような眼差しに見下ろされている。誰かとは、友かもしれないし、妻かもしれない。生者かもしれない。あるいは神かもしれない。そして、私たちを見下ろしているものは、失望させないで欲しいと、惨めに苦しまないで欲しいと、そうではなく誇りを持って苦しみ、死ぬことに目覚めて欲しいと願っているのだと。」(P138)

 

 自分がもしも、この人を人として扱わない想像を絶する過酷な状況の中に置かれたとしたら自分の生命に価値を見出せるのだろうか。しかし、フランクルはそれでもその生命には価値があるのだと言い切っている。そしてその過酷な状況の中で、その人がどのような行動を取るのかということを誰かが見ているのだと。

 私は今目の前の些細なことに不安を抱き、耐えられなく思ってしまいます。例えば会社の上司が苦手で明日会社に行きたくないとか、結果を知るのが怖くて何かに挑戦できないとか、本当に小さな次元のことに囚われてしまっています。しかしそうではなく、そんな状況の中で実は試されているのは、自分がどのような行動を取るのかとうことなのです。

 

あなたがどんなに自分の事を卑下してもあなたには絶対的な価値がある 

 

  失敗が続くと自分を卑下してしまいます。もしもあなたに虐められていた経験があるのなら自分の人格に自信がもてないかもしれません。もしも、あなたが組織の中で非難されているのならば、生きることがしんどくなってしまうかもしれません。しかし、あなたがどんなに自分を卑下しようともあなたに絶対的な価値があることは覆せない事実なのです。フランクルの「夜と霧」はそんな事を教えてくれます。