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トルストイ「アンナ・カレーニナ 第3巻」 理屈では到底分からないことがある

アンナ・カレーニナ 3 (光文社古典新訳文庫)

あらすじ

 不倫関係にあるヴロンスキーと、外国に旅行に行くアンナ。しかしアンナの心は嫉妬心や不安で、一層不安定になっていく。夫や社交界から逃げるような生活は、次第に歪みを生んでいく。一方キティとの新生活を謳歌するリョービンは、兄であるニコライの死に直面する。  

死に直面するリョービ

 死に直面する兄の姿を間近で見る、リョービンの心の動きが印象的だった。愛する兄が死ぬという現実が受け入れられず、何もできない自分。それに対して妻のキティは経験したかのように適切に兄を看病をする。その姿を見てリョービンは女性である妻には、自分が「何百冊と本を読もうが到達できない何か」を知っていると気づく。この描写を読んで私は、改めて生きる上で大事なことはなんだろうと思った。本当に大事なことはきっと本には書いてないし、頭で理解なんてできないものなんだろう。当然だけど本を読むこと自体は決して偉くないし、それで全てを理解するなんて不可能だ。ましてや生死という問題に対してはきっとなんの役にも立たないだろう。

死を感性で捉えるキティ

 それではなぜ妻のキティは経験したこともないのに、死に対して毅然と向き合えたのだろう。なぜ学んでもいないのに死にゆく人に対して適切な看病ができたのだろう。それは理性で考えていないからだと思う。その瞬間に感じた感性で、単純に少しでも楽にしてあげたいという気持ちのままに動いたからだ。だから死という理屈を超越したことに対して自然に動けたのだ。

理屈ではなく感性で生きることの大切さ

 人生には理屈では分からないことがたくさんある。にもかかわらず全てを理屈で捉えようとしてしまうことに、一つの不幸はあるのではないだろうか。自分自身も理屈で物事を考えすぎる傾向にある。効率の良い勉強方法とは何か。適切なコミュニケーション方法とは何か。どうすれば成功できるのか。しかし効率の良さや成功なんて、人によって変わるし、時代によって変わる。正解なんてないのに、正解を探すから苦しくなるし道に迷う。そうではなく、もっと単純に「自分は何が好きなのだろう」、「自分は何がしたいのだろう」、「自分はどう生きたいのだろう」と自分の感性と直感で生きていくと自分らしく生きれそうだ。

まとめ

 アンナ・カレーニナ も第3巻まで読んだ。トルストイは自分に何を問いかけるのだろう。生と死から、結婚や恋愛、金銭問題や宗教の是非。色んなことを教えてくれる。人間はそれぞれにどうしようもない宿命を抱いている。最後の4巻では、アンナとリョービンはどのような結末を迎えるのか。最後まで読んでいこう。